第一回ゲストは、私の本読み友達、ナゾプロ氏です。

ゲスト ナゾプロ ?? PRODUCTION
フリーランスの校正者。たまにDJもやる鬼畜のS。

今回は、ゲストの発案で、既存の小説の書き出しを用いて、ゲストと私が読み物を書くと言う趣向になり、二人が共通で好きな作家の作品の中から、私がお題を選びました。
ゲストに出題した、書き出しの一文はこちらです。

いまやまじかに迫ったこの春の日々に何をしよう?

それでは、心ゆくまでお楽しみ下さい。


『我が眼の歓び』第一夜〜ナゾプロ版〜

いまやまじかに迫ったこの春の日々に何をしよう?
 というか、いつの間にか「迫った」を通り越し、春まっただ中ですね。ここはひとつ、ものみな生命を謳歌する、芽生えの季節にぴったりのすてきな作業、校正をしてみましょう。
 こんなに短い文のなかにも誤りというものはあるものです。みなさん、お気づきになりましたか? そうです。「まじか」は漢字に直すと「間近」、つまり「まぢか」と書くのが正しいのですね。
 このように、意地の悪い目で文章をながめ、ささいな間違いを鬼の首をとったように指摘し、内容の矛盾を悪意を込めてあげつらう校正という作業、ほんとうに楽しいものですね。
 日頃からこのような邪悪な心がけで活字と対峙するだけで、あら不思議、「次々と幸運が続いて、怖いくらい!」という喜びの声が殺到中。いまマスコミで大評判の校正、みなさんも、ぜひ一度、お試しください。

 「ぜひ一度、お試しください」
 竹中直人と木村優子(後半は鷹西美佳)がTVショッピングのパロディを演じる、「素敵な小箱」というコーナーのしめのセリフだ。日本テレビ系『ニッポンテレビ大学』の番組内連続ドラマ『ハイブリッドチャイルド』のワンコーナーである。脚本に宮沢章夫、出演者はラジカルガジベリビンバシステムの面々。もう15年ほど昔のことだ。
 それより少し前、モンティ・パイソンのビデオを借りまくり、前後してルイス・ブニュエルの映画『自由の幻想』を観た。そして、『スチャダラ』から観続けることになるラジカル〜の舞台。
 これらには共通して同じ手法が使われていた。その手法を使うと、関連性のないスケッチ(日本でいうコント)の寄せ集めも微妙に関連性を持ちはじめ、時には冒頭でふったネタのオチが、すっかり忘れた頃に、さりげなくつけられたりするうちに、有機的なひとつの物語が立ちあらわれる。パズラー魂が微妙にくすぐられるスタイルである。
 考えると、様々な曲をリズム/テンポ、キー/フレーズなどで関連づけてつないでいき、全体の流れをつくるDJにも通じるものがある。どうも生来の嗜好に合っているらしい。最近のお気に入り、泡坂妻夫の小説群にも同様の仕掛けが施されているし。
 その手法の名前は(かなりベタだが)リンキングというらしい。ごく最近のことである、それを知ったのは。

 それを知ったのは、バリ島北岸の小さな村ロビナ・ビーチだった。
 「音にも固有の色がある」
 持参したラジカセから流れる音楽に合わせて、様々な色彩が踊り流れて移り変わっていくのが「見えた」のだ。
 同じインドネシアの、ある島を舞台にしたライアル・ワトソンの小説『未知の贈りもの』(工作舎)で、類い稀な踊り手であり不思議な能力をもつ島の少女ティアは、島を調査に訪れた主人公の「すべての音には色がついているのか」という問いに答えていう。「色がなくてどうやって人の話や音楽を聴くことができるの」(中略)「ドラムが話をするとき、やわらかい砂のような茶色のじゅうたんを地面に敷く。踊り手はその上に立つ。つぎに銅鑼が緑や黄色を呼び、私たちが動いたりまわったりして通る森をつくる。もし森の中で道に迷っても、フルートや歌の白い糸が家に導いてくれるわ」
 そんなエピソードを思い出しながら、その夜ただひとり海岸に寝転がり、星空をながめていると、生まれてはじめて、猛スピードでジグザグに飛ぶ、UFOを見た。

 「UFOを見たという方から電話です」
 いまはなき某雑誌の校正のため、社長が薬物問題などを抱えるその出版社を訪れたのは、もう5年以上も前だろうか。目の前に積まれたゲラには「アトランティスは実在した」「未確認生物に遭遇」など、いたずらにセンセーショナルなタイトルが並んでいる。アルバイトらしき女の子から電話を回され、自称・霊媒師と話し込んでいた男性編集者が事務的な口調でUFOの目撃者の対応をはじめたので、手持ち無沙汰になった霊媒師と目が合わないよう、ゲラを無意味にひっくり返したり辞書を猛烈な勢いでめくってみたりして、忙しさをアピールしてみる。かつて友達が、ある占い師に「あなたの前世はバッタです」と自信満々に言い放たれたらしいが、できればそんな目に遭うのは回避したい。いや、絶対にごめんこうむる。
 そんな、(ひとり)緊迫した状況のなか、薄い壁を挟んで隣に位置する、ティーン向けの女性誌編集部では、現役女子高校生3人による座談会が始まったらしい。あけすけな性の話題を、悪びれもせず、弛緩した口調にそぐわない大声で展開する女子高生たち。対するは、さらにきわどい発言をひきだそうと、微妙に挑発する司会役の女性編集者。その思惑どおり、恐らくはフィクション織りまぜ、稚拙ながらも妙にディテールにこだわった表現を駆使して、自慢げに陳述する3人組。
 いったいここは因果者の流刑地だとでもいうのだろうか。
 ああ、霊能者の刺すような視線を感じる。けして顔を上げてはなりませぬ。目が合ったら最後、何を宣告されるかわかったものではありませんからね。
 2つのバッドな磁場の真ん中で、ただひたすら念じるように思うこと、それは。
いまやまじかに迫ったこの春の日々に何をしよう?


いかがでしたでしょうか、お楽しみ戴けましたでしょうか。私は、さんざっぱら楽しみました。『まじか』の誤字は、ただひとえに、私が原因です。ゲストにメールでお題を伝えた際に、打ち間違えました。すみません。いつもありがとう、親切な校正さん。というわけで、私は、『まぢか』で行かせて戴きます。


『我が眼の歓び』第一夜〜大橋あかね版〜

いまやまぢかに迫ったこの春の日々に何をしよう?

「ずばり、恋である。愛である。」

花ほころび、鳥歌い、胸ふくらむ、恋の季節。
蜜より甘く、火よりも熱く、心蕩かすは、愛の言葉。
乙女よ、網、縄、持て、いざ行かん。愛しい方を捕らまえに。

とまぁ、万物全てが積極的に春を謳歌できれば問題はないのだが、如何せん、中には、無職で家に籠りきりの人間もいる。

「私だ。」

人には様々な事情があるのだから仕方がない。はなはだ消極的ではあるものの、ここは私も、妙齢の乙女の端くれとして、王子の出現に賭けたいと思う。

「王子、急募。」

王子と書いた途端、私の心が不思議とざわつく。やっぱ、乙女ね、あたしって。妙齢なのかはともかくとして。

王子様は、風香る春の草原を白馬に乗ってやってくるのだ。襟までかかる金髪を馬のたてがみと同じ様になびかせ、膝上のかぼちゃパンツが風を孕んではたはたと。王子様は、私の前まで来ると、馬が竿立ちになる程の勢いで手綱を引き、馬を優しくなだめる。そして、こぼれんばかりの微笑みを浮かべながら、私に言う。

「姫。新しいプリンターをお持ちしました。」

これなら、出力に時間がかかりませんし、エ○ソンだから、プレステ2のソフトにも対応しますよ。それに何と言っても、印刷のきめ細かさ。ほら、前のと比べてみて下さい。全然違うじゃありませんか。

そうまくしたてる王子樣に、私はもうめろめろである。「王子様、できれば、私。。。」タブレットも欲しい。スキャナも新調したい。愛用の硯は見当たらないし、筆の太いのも必要だ。一度でいいから匂い立つような墨を使ってみたいし、そうだ、裁縫ばさみが小さすぎるんだよ。ミシン針なんか残りわずか。それより何より工業ミシンじゃないと、厚手の布が縫えないのね。

そうなると、王子様が白馬に乗るのは無理であろう。なにせ荷物が多すぎる。ここは一つ、

「王子、大八車を引いて登場。」

何だか、くずぃ〜おはらい〜、とでも呼ばわりそうだが、背に腹は代えられぬ。王子様には、全力でがんばって戴こう。

然るに、ここまで考えてきて、大変大きな命題にぶつかってしまった。浮かれ浮かれて、とんでもないことを忘れていたのだ。王子とは、元来、高慢でわがままな生き物なのではないのだろうか。何と言っても、将来は一国を背負って立つ存在、蝶よ花よと育てられ、乳母日傘の苦労知らず。一方、私も、事わがままでは引けをとらず。四世代家族の一人っ子と言う、言いたい放題し放題の環境で天上天下唯我独尊と思い込み、そんな二人がうまく行く道理もなし。

「そうだ。従者にしよう。」

もう、王子様はあきらめる。その代わりに、私に絶対服従の(美形の)従者で手を打とう。はじめから、そうすれば良かったな。大体、私も高慢ちきなのだから、身分の高い王子にへいこらするはずもなく。ならいっそ、従者にかしずかれ、ちやほやとしてもらった方が、随分と心持ちが良い。

従者の仕事はお出かけの際の露払いに限らず。姫の帰りが遅くなったと言っては迎えに出、レイトショーのボディーガードに、ゲームショーでは姫と一緒に五時間並ぶ。姫のためにケーキも買いに行くし、もちろん、minaでお洋服買うのも、つきあうのよね〜。ついでに家事も得意だといいなぁ。お裁縫はどうかしら。けろも作れたりして。Photoshopが使えると画像の加工もしてもらえるから、すっごく助かるわ〜。

従者、八面六臂の大活躍である。姫の御前に控えて、慎ましく優しく、姫を見守り、その言動は、常に、姫を想ってのもの。そのため、時には苦言も呈する。姫の為になることなれば、不敬と謗られても決して怯まず。

「姫。。。太りましたね。」

今、夢、吹き飛びました。えぇ、そうですね。私、白金にある肉屋の屋号、『肉のだんばら』を地で行っております。母に甘えたら、母、眼を細めて「まぁ、大きなお顔。」と言いました。こんなふやけた体で恋愛なぞ語る余地無し。もうすぐ半袖の季節だと言うのに、腿みたいな腕でどうします。ここはやはり、心を入れ替えて。

いまにまぢかに迫るであろうあの夏の日々までに何をしよう?

「ずばり、ダイエットである。」


いかがでしたでしょうか、と聞くのも憚れるような内容でしたね。次回からは、自分で書かず、ゲストの寄稿のみでお願いしたいと思っております。
さて、今回の書き出しの一文ですが、皆さん、元ネタがおわかりになりましたか。大変有名な作家のあまり有名でない作品から引用しました。
引用文へのお問い合せや、ゲスト読み物の感想等は、こちらまでお寄せ下さい。
第二夜をどうぞお楽しみに。